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ジラール・ペルゴCEO、ルイジ・マカルーゾさん 時計とクルマの情熱に生きる。



羨ましきかな、ジーノ!


スイス高級時計メーカーの老舗中の老舗であるジラール・ペルゴはまた、極小部品までをも自製する
真の“マニュファクチュール”としてマニアからの評価も高い。
そして、同社のCEOは稀代のマニアなのである。
文=鈴木正文(本誌) 写真=矢嶋 修



ルイジ、愛称はジーノ・マカルーゾさん
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ルイジ、愛称はジーノ・マカルーゾさん。手前のフィアット・アバルトX 1/9は、かれがレガッツォーニと組んで走ったマシンそのもの。1974年型である。



トリノ郊外で

 ファスト・アイドルの爆音がトリノ郊外の工場団地にいきなり鳴り響き、1968年製の真っ赤なビッザリーニ5300GTストラーダが中庭に引き出された。ルイジ(ジーノ)・マカルーゾさんのクラシック・カーを管理するマッシモが、カメラマンの指示にしたがってポジションを微妙に動かす。切ったクラッチをつなげる瞬間、フロントに塔載されたシヴォレー・コーヴェット用の5.3リッターOHV90度V8が、わずかにあえぎ、次の瞬間に息を吹き返す。ドドドドとドスのきいた排気音とカシャカシャというメカニカル・ノイズ、そして吸気音が混然となってふたたび音が高まり、轟々と、そして朗々と合唱する。その機械獣のサウンドに、胸からみぞおちにかけてのどこかが掻きむしられた。
 マッシモは次に、微妙な色調の、黒い肌のランボルギーニ・ミウラP400SVに乗る。ミドシップされるエンジンは4リッターのDOHC60度V12だ。このエンジンは、もとはといえばビッザリーニ5300GTストラーダの生みの親であるジョット・ビッザリーニが設計したものだから、眼前の2台には縁がある、ということはともかくとして、V12だけあってスムーズに回っている。したがってノイズも低い。ビッザリーニの大爆音の後では、いささか迫力負けだけれど、2台が並んだのを見て、1960年代のイタリアのグランツリズモの美しさにジンときた。
 デザインはどちらもベルトーネがらみだ。ビッザリーニはベルトーネ時代のジョルジェット・ジウジアーロが、ミウラはベルトーネを去る直前にファースト・スケッチを描いたジウジアーロの仕事を引き継いだマルチェロ・ガンディーニが、それぞれ担当した。この時代、フェラーリには、ピニンファリーナ・デザインの最高傑作のひとつである275GTBがあった。美しいGTの時代だったのだ。
 といった漠然とした感慨にふけっていると、2台のオウナーのマカルーゾさんがグリーンのアウディS4アバントを運転してやってきた。

ランボルギーニ・ミウラP400SV、奥がビッザリーニ5300GTストラーダ
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手前からフェラーリF40、ミウラ、ビッザリーニ、フェラーリ275GTB/4、そしてアストン・マーティンDB5
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ランボルギーニ・ミウラP400SV、奥がビッザリーニ5300GTストラーダ。


手前からフェラーリF40、ミウラ、ビッザリーニ、フェラーリ275GTB/4、そしてアストン・マーティンDB5。


ラリー・カー・コレクター

 1960年代を中心とした世界ベストのラリー・カーのコレクターとして有名なマカルーゾさんにはじめて会ったのは10年近く前にさかのぼる。かれはそのときもいまも、200年以上の歴史を誇るスイスの高級時計メーカー、ジラール・ペルゴのCEOなので、それからも時計取材で何回も会っている。また、一度は、かれが所有するフェラーリ275GTB/4とともに表紙にも登場してもらった(2006年2月号)。そのときはトスカーナのかれの別荘を訪れたのだけれど、その家は2003年にダイアン・レイン主演で映画化された『トスカーナの休日』の原作となったベストセラー本(フランシス・メイズ著)の表紙写真になった家そのものだったのにはおどろいた。スイスの名門時計メーカーのビジネスを成功させ、すばらしい自動車コレクションを持ち、休みの日には古い農家を改装したトスカーナの風情ある別荘で過ごすというライフスタイルの人なのだ。気持いいぐらいに羨ましい暮らしぶりだ。
 マカルーゾさんは、トリノに生まれた男の子として当然のようにクルマ好きになったが、普通の少年たちと違ったのは、トリノ工科大学の学生時代にアマチュアとしてはじめたラリーを、本職としてやったことだ。建築家になろうとおもっていたのに、フィアットのワークス・チームの一員になってしまったのだ。1972年にはピントと組んでたたかった124スパイダーでヨーロッパ選手権を制し、翌73年には2位、74年にはイタリア・ラリー・チャンピオンになるという輝かしい戦績を残している。
 しかし、1974年にフェラーリのF1パイロットにもなったクレイ・レガッツォーニと組んでアバルトX1/9プロトティーポで出場した“ジーロ・ディタリア”に優勝したのを最後に、マカルーゾさんはレースを引退する。そして、時計ビジネスの世界に飛び込んだ。

トリノ郊外のガレージに飾られた写真パネルに写るのはフィアット124スパイダー
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こちらに向いているのがX1/9プロトティーポで、
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トリノ郊外のガレージに飾られた写真パネルに写るのはフィアット124スパイダー。1972年にマカルーゾがたたかった雄姿をとどめる。おなじクルマがガレージに収まっている。


こちらに向いているのがX1/9プロトティーポで、左に並ぶのは左からモーリス・ミニ・クーパー1300(1966)、フォード・コーティナ・ロータス(1966)、フォード・エスコートRS(1970)、ポルシェ911T(1971)、フィアット124スパイダー(1972)、ランチア・フルヴィアHF1600(1970)、アルピーヌ・ルノーA110 1800(1973)、1台おいてランチア・ストラトス(1976)、フィアット131アバルト(1979)。


メカニズムとデザイン

 子どものころには自動車デザイナーを夢に見て、大学時代は建築家を志しつつもレースに身を投じた男だから、メカニズムとデザインの美が問われる高級機械式時計のビジネスは、結果的にみれば、マカルーゾさんの天職ともいえるものだった。曲折を経て1992年に、スイス時計界の至宝、ジラール・ペルゴのオウナーになったが、1791年に創業したこの老舗メーカーほど、かれに似つかわしい時計メーカーはなかったのかもしれない。というのも、ジラール・ペルゴは、スイスでも本当に数の少ない真の“マニュファクチュール”だったからだ。
 時計の世界でマニュファクチュールといえば、ムーブメントはおろか、ケース、極小パーツまでをも自社製作するメーカーのことだ。外部に注文した部品を組み立てるのではないから、メカニカルな知識もデザインするセンスもあわせ持つマカルーゾさんが、オリジナルな時計を生み出すのに好適なのだ。じっさいかれは、みずからコンセプトを打ち出し、スケッチを描いた。
 ジラール・ペルゴは時計史に残る数々の名品を送りだしただけでなく、画期的な技術的業績も残してきたメーカーだ。腕時計のはじまりがいつかは特定がむずかしいが、ジラール・ペルゴは1880年にドイツ海軍の将校向けに2000個の腕時計をつくっており、これは近代的な商業生産に付された世界で最初の腕時計である、とみなされている。1965年には3万6000振動の超高ビートのジャイロマティックを開発し、「ジャイロマティックHF」と呼ばれるこのムーブメントによって、1966年のヌーシャテル天文台の精度コンクールで特別賞を受賞している。また、1970年にセイコーとほぼ同時期にクオーツ時計を発表、翌71年には、3万2768ヘルツで振動するシステムの時計を開発して、以後この振動数が現在も、世界基準となっている…等々。
スイス、ラ・ショー・ド・フォンのジラール・ペルゴ本社の、青も鮮やかな社屋。
 しかし、それほどの名門であっても、日本の時計メーカーによる安価で正確なクオーツ時計攻勢のまえにはなすすべもなく、1980年代には低迷せざるをえなかった。そんな状態にあったジラール・ペルゴをマカルーゾさんが買い取り、再生させたのである。

本社にほぼ隣接するミュージアム
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手前がベータ・モンテカルロ、奥がLC2とランチアのプロトタイプ・レーサーもある
本社にほぼ隣接するミュージアム。


手前がベータ・モンテカルロ、奥がLC2とランチアのプロトタイプ・レーサーもある。


ミュージアム

 マカルーゾさんは1999年にラ・ショー・ド・フォンの本社工場の目と鼻の先にある20世紀初頭の邸宅をレストアして、そこをジラール・ペルゴの歴史的時計と文献、そして17世紀の工具などを展示するミュージアムに変えた。良き古いものへの、そしてデザインへの情熱は、クルマにたいしても時計にたいしてもおなじように発揮されるのだ。
 そのミュージアムで、僕は思いがけない人に会った。史上最高の二輪ロードレーサーのジャコモ・アゴスティーニである。MVアグスタとヤマハで1964年から1977年にかけて通算122勝のGPウィンを果たし、15回も世界チャンピオンになった伝説の“アゴ”である。マカルーゾさんの友人なのだ。
「私はラッキーです。いろんな分野の友人に恵まれていますから。仕事に生かそうなんておもってもないのに、友人たちから吸収したことが自然に仕事につながったりします」と、マカルーゾさんはいう。本当に羨ましいのは、かれの「友人コレクション」かな、ともおもったのだった。

ランチアLC2。パトレーゼ、アルボレートなどが1982年ル・マンをたたかった
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人物写真の中央が伝説の“アゴ”
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ランチアLC2。パトレーゼ、アルボレートなどが1982年ル・マンをたたかった。


人物写真の中央が伝説の“アゴ”。


クロノスコープMVアグスタアメリカ
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JEANRICHARD CHRONOSCOPE MV AGUSTA AMERICA
ジャンリシャール クロノスコープMVアグスタアメリカ

ジャンリシャールの時計は2007年からはじまったMVアグスタとの提携モデルの4作目の「クロノスコープMVアグスタアメリカ」。
100m防水。SS×ラバー×チタン・ケース。109.2万円。



ジラール・ペルゴ1966スモールセコンド

GIRARD-PERREGAUX 1996 SmallSecond
ジラール・ペルゴ1966スモールセコンド

今年のジラール・ペルゴの新作、「ジラール・ペルゴ1966スモールセコンド」。
2万8800振動。自動巻き。パラディウム・ケース径は38mm。世界限定199本で、138.6万円。



ジラール・ペルゴとジャンリシャール ウォッチを擁するソーウインド グループCEO、ルイジ・マカルーゾ氏は、2010年10月27日、ジラール・ペルゴがその本拠を置くスイス・ラ・ショー・ド・フォンにて急逝されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。




※価格は雑誌掲載当時のものです。


2010年5月号掲載


 
 
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予めご了承くださいますようお願い申しあげます。



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