ハダカの世界を、翔ぶがごとく。
イギリスの地で営々とつくられるネイキッド・スポーツカー、
スーパーセヴン、編集長の担当車として登場!
文=鈴木正文(本誌) 写真=望月浩彦
最後の夢?
スーパーセヴンの日本の輸入元、紀和商会がむかし自動車雑誌に出していた広告コピーは、たしか「クルマ好きの最後の夢」とか「見果てぬ夢」とかいうものだった、という覚えがある。どっちにしても、スーパーセヴンを日常的にドライブするのは、「夢」のように非現実的でもあれば、ある種の「夢」のようにぜひかなえたいものでもある、という二重のメッセージを、僕はそのコピーから受け取っていた。そしてとうとう、クルマ好きのはしくれとしての「夢」を、僕はかなえることができた。昨年12月、紀和商会から、ケイタラム・スーパーセヴン・ネオ・クラシックを、僕担当の長期リポート車として購入したからだ。
といっても、「ネオ・クラシック」なる機種はすでに紀和商会では輸入していない。ケイタラム社のカタログにいまのところ残っていても、ローバーKシリーズのDOHC16バルブ4気筒、1.4リッター、120psをフロント・ミドに搭載するそれは、すでに生産終了となっているからだ。こんかい32号車として長期テスト・フリートに加わったのは、昨年8月に登録ずみのいわゆる「新古車」で、価格は390万円。このなかには、本来オプションの4点式ロール・オーバー・ケイジ、ボディ左右にマウントされるサイド・ミラー、そしてヒーターがふくまれる。
CSRと呼ばれる203〜264psまでのスーパー・モデルを別にすると、ケイタラム社が現在カタログに載せているモデルのうち、もっともベーシックなのは「クラシック」で、32号車とおなじ1.4リッターのKユニットを積むが、106psとチューンは低い。次はフォードの1.6リッター・シグマ・ユニットを積む127psと142ps、そして1.8リッターKユニットの167psがある。車重はおおむね550kg内外と、普通のスポーツカーの半分以下。だから、出力の数字を倍にすると、だいたいの速さの目安になるかもしれない。ちなみに、32号車の場合、120ps/6000rpm、13.1kgm/5000rpmの心臓は、5段MTを介して530kgの2座オープンに0-100km/h 6.7秒という、ほぼポルシェ・ボクスター並みの加速タイムを与える。
しかし、それは数字上の話で、ドライバーが感じるスピードはそれよりずっと速い。というか、速さの質がまるで異なる。ボクスターが野球のボールだとすれば、スーパーセヴンはゴルフ・ボール、おなじスピードでも羽が生えて飛ぶかのようだ。おまけに、3380×1580×1090mmの超コンパクトなボディは、ほとんどじぶんの身体そのものといっていい自在感をもたらす。
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フロント・カウルと前後のサイクル・フェンダーはブリティッシュ・レーシング・グリーン、それにダッシュボードとインナー・パネルの真っ赤なフェイシア、というコンビネーションは、いたってオーソドックスなイギリス流。
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地べたスレスレに低く座るドライバーは、幌を降ろしていれば、天地の低いガラスの風防によって辛うじて風の直撃を免れているだけなので、その疾走感はつねにネイキッド、強烈なドライバーに引っぱたかれて低くまっすぐ地を這わされるゴルフ・ボールになったかのような一途さだ。ゆえに、たとい120psバージョンのスーパーセヴンであっても、なんの装飾もないハダカの速度そのものを知ることができ、そのハダカの速度なるものがともなう刺激の強烈さを知って、それに病みつきになる。
助手席サイドの集合管、13インチのミニライト・アロイ・ホイールがスーパーセヴン・ワールドである。F1のような小径のノン・パワー・ステアリングは、さして重くない。ドアはないが、いまは冬なので、通常はサイド・カーテンを立てて乗っている。
幌をしないワケ
それには幌はしてはならない。外界とじかに接して、じぶんのカラダそのものを、この世界の3つの次元のただなかに生じた、スピードという第4の次元とのインターフェイスにすればこその刺激が快楽になるからだ。もちろんそれは、ある種の身体的苦難を伴う。しかし、苦のないところに楽はなく、楽あるところにはかならず苦があるのだ。
いずれにせよ、公道走行許可証であるナンバー・プレートをぶら下げて、天下の公道のど真ん中で白昼堂々と、そんな異次元とまじわることができるクルマは、スーパーセヴンをおいてほかにない。せっかくセヴンを手に入れたのだから、できるだけいつでもステアリングを握り、ステアリングを握る以上はオープンで走らなければ、もったいない。
ということで、12月下旬に納車されて以来、僕はウィークデイの移動を、幌なしのスーパーセヴンで、官能がしびれる爆音を聞きながら陶然とおこなうようになった。わずか数キロの用足し移動であっても、セヴンのなかに身体を沈めれば、そこに成就するのは異次元との交流だから、この世にいながらあの世を味わっているようなものだ。
そんな日々の快楽が要求する代償や、非日常を抱え込んだ日常の実態などについては、次号から逐一、報告していく。お楽しみに。
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