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ヘミングウェイのスキレット



ENGINE × LODGE SPECIAL COOKING episode1

ヘミングウェイのスキレット


 ロッヂのスキレットをヘミングウェイが使っていたとしたらどうだろう。スキレットとは鋳鉄製のフライパンのようなもの。のようなもの、と言ったのは、本当はフライパンではないからだ。フライパンより重く、厚みがあり、そして熱くなる。
 そんなスキレットとヘミングウェイの関係を、ロッヂの鋳鉄鍋をこよなく愛し、本場アメリカのダッチオーブンの大会にも参加したJDOS(ジャパン・ダッチオーブン・ソサエティ)会長の菊池仁志さんがエッセイのなかで語ってくれた。
文=菊池仁志
写真=山下亮一


秘密の場所へは、車で乗り入れられない。荷物を背負って急な坂道を上り、息が上がってしゃがみこみそうになる頃、ニック・アダムズをなぞって野営するのに打って付けな場所が現れる。そこだけ平らで低い草に覆われ、緩やかに下った先に川が流れている。
『ニック・アダムズ物語』はアーネスト・ヘミングウェイが身の回りの出来事を綴った短編集で、その主人公がニックだ。中でも、作者の分身とも言えるニックが、自然と濃密に関わりながら過ごした北ミシガンを舞台とする作品に、僕は惹かれる。
 湖をカヌーで渡り、インディアンと出会い、鱒を釣り、熾した焚き火で料理し、毛布にくるまって寝る。自然の恐怖に怯え、発見に驚き、克服に高揚する。
 読み返す度に、僕はニックをなぞりたくなった。ふさわしい野営の場として探し当てたのが、そこだけが平らで低い草に覆われた秘密の場所だった。

 僕のニックを気取るキャンプは、短編集の中の代表的な一編「大きな二つの心臓の川」の出だし、「ニックは手荷物係が手荷物車のドアから投げ出したテントと寝具の包みのうえに腰をおろした」をなぞるところから始まる。
 ニックになった僕は、野営の道具一式とくくり付けられた寝袋で膨らんだリュックを、車から乱暴に引っ張り出し、地面に放り投げる。荷を下ろし終えると、その上に腰をおろした。
 一息つくと、革のロッドケースを手に持ち、森に向かって歩き始めた。秘密の場所までは長い道のりで、着くと何時も腹がひどく減っている。だが、ニックがそうしたように、僕は寝床を確保してから食事を用意することにする。斧を取り出し、出っ張っている切り株をぶった切り、平らにならし毛布を拡げた。
 下った先を流れる川には、鱒は泳いでいないが岩魚が棲んでいる。僕はケースからフライロッドを取り出して継なぎ、リールから引き出したフライラインをガイドに通した。先端の細くしなやかなライン、ティペットに毛鈎を結びつけた。そしてニックがそうするように、「糸をピンと引っぱって、竿のつなぎ目と弾力の具合を試した」。
 沢山の道具を吊り下げたフィッシングベストを身に付けると、玄人らしくて嬉しかった。岩魚に気付かれないように身をかがめ、音を立てないように気を配りながら流れに向かった。岩魚が潜んでいそうなポイントに毛鈎をキャストするのだが、姿をあらわすことはなかった。流れにのる毛鈎が渦巻きに飲み込まれようとする寸前、ニックが体験したように毛鈎が消え、糸がぐっと引っ張られることも、現実には全くといっていいほど起こらない。けれども、こうした儀式を通過した後であれば、下界から持ってきた鱒を美味しく料 理できるのだ。
「腹がへっていた。こんなに腹のへったためしはないと思った」
 僕は「火をおこし、その上にフライパンをかけ、ベーコンの薄切りを幾片かフライパンで炒め」た。ベーコンから脂が滲み出し泡立つのを待って、下ごしらえした鱒を静かに滑り込ませる。焼き汁を鱒にかけると、ベーコンの脂で焼ける鱒の匂いが襲ってきた。裏返し、また焼き汁をかけた。
 白い琺瑯の皿の上に鱒を移し、クリスピーに焼きあがったベーコンをのせ、その奥に川辺に自生していたクレッソンを添えた。完璧な一皿を前に、僕は最も口にしたかったニックの台詞を声に出して云った。
「重いのもいとわずこれを運んで来たのだから、俺にはこれを食う資格があるのだ」

 僕にとってハイライトであるこのくだりを、訳者は、ニックは鱒を「フライパンで炒める」と翻訳しているのだが、僕は納得できなかった。
「表面はパリパリによく焼けていたが、中はとても柔らか」な鱒をニックが、つまりヘミングウェイがペラペラなフライパンで作るはずがない。鋳鉄で出来たスキレットに違いない。ヘミングウェイは文中で、「重いのもいとわずこれを運んで来たのだから」と、ニックに云わせている。
 原書を取り寄せて調べると、思った通り「スキレット」と原文では書かれている。ヘミングウェイは『ニック・アダムズ物語』の中で、鱒を焼く時だけでなく、頻繁にスキレットを登場させている。短編は1920年から30年代にかけて執筆されたと云われている。知る手立てはないが、ヘミングウェイは「ロッヂ」のスキレットを使っていたに違いない、と僕は思っている。
 ニックをなぞってライブレッドをちぎると、僕はスキレット「の中のベーコンの脂に浸した。(中略)それから鱒の骨を焚き火にくべ、もう一切れのパンでベーコンをサンドウイッチにして食べ」た。

菊池仁志(きくちひとし)
 画家(画名ピエトロ)、エッセイストとして活躍しながら、ジャパン・ダッチオーブン・ソサエティ(JDOS公式ホームページhttp://jdos.com/)の会長も務める。ダッチオーブンの著書も多数あり、4月には6と1/2インチ・サイズのロッヂのレシピ本をA&F BOOKSより出版予定。
 
 
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