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from EDITOR|ENGINE 2008.1 No.088


 1920-1930年代のパムプローナの町では、5ペセタあれば、たとえばマドリッドではとうてい無理な、満腹になることと酔っ払うことの両方ができたらしい。ヘミングウェイが『午後の死』でそう書いている。スペイン北部ピレネー山脈のふもとにあるこの町は、毎年7月におこなわれる「サンフェルミンの牛追い祭」で有名だけれど、この祭を有名にしたのも、この祭を出世作『陽はまた昇る』の舞台装置として効果的に使ったヘミングウェイだった。
 サンフェルミンはパムプローナの守護神で、祭は7月6日から14日まで続く。このかん5日間連続で闘牛が催され、闘牛のある日は毎早朝、囲い場から牛を放ち、暴れる牛たちを追い立てて、町の目抜き通りを通らせたうえで闘牛場に引き込む。
 それは年に一度の祭にふさわしいスリルをつくりだすためであるとともに、スペインの男たちにとって最大の美徳である勇敢さを誇示する、またとないチャンスを与えるためでもある。われこそはといきがる男たちは、爆走する牛の前にわざと飛び出して牛を挑発し、勇気をひけらかす。挙げ句の果てに、角で放り投げられたり刺しぬかれたりして、大怪我を負ったり、命を落としたりする男たちが毎年出る。それでもそれを毎年繰り返す。テレビのニュースや番組で、そんな光景を一度ならず見たことがある人は多いはずだ。なんとバカな、ということはたやすい。けれど、僕たちだって、牛の前に飛び出る勇気とはちがう勇気や、勇気とはいえないかもしれないがじぶんにとっては大切ななにかを誇示しようとして、大怪我をしたり命を落としたりしている。人生はそんなふうなチャンスだけは、いつもふんだんに用意しているものだ。
 それはともかくとして、闘牛話をつづけると、囲い場で闘牛につかわれる牛を選び出すことをアパルタードという。これを見に来る一般客がいる。スペインの男たちは、ここでも勇敢さを証明しようとして、牛をはやし立てて挑発するという。もし牛が、その隆々たる筋肉に被われた猪首を持ち上げて男を見上げたら、挑発は成功したとみなされる。あまつさえ、男にむかって突進してフェンスに角を突き立てたり、男を角で放り投げたりすれば、それは男の勝利となる。そうまでしても、スペインの男は勇敢さを誇るチャンスを追い求める。スペインの男たちの、勇敢さを誇り、大小かかわらない名誉を得ることに向ける情熱を駆動しているものを、ヨーロッパの他国人は羨望と揶揄を込めて、「スパニッシュ・プライド」というそうだ。
 しかし、そういうスパニッシュ・プライドの発露を放置しておけば、試合の前に牛を無駄に興奮させて疲弊させてしまう。それを嫌う興行主は、アパルタードにやってくる一般客を制限するために、ヘミングウェイの時代には、5ペセタの見料をとるのがふつうだった。
 パムプローナのような物価の安い田舎町では、満腹と酔郷を保証し得る5ペセタの大枚を、アパルタードを見るためだけに払った男たちは、大変な富者であるがゆえに威厳に満ちていて、物静かに牛の選び出しを見守ったのだという。ヘミングウェイはその品位ある態度をもたらしたのは、「5ペセタの威厳」だ、と『午後の死』でいっている。
 という話を読んだとき、僕は、そうか、「5ペセタの威厳」か、とその精妙な表現に感じ入った。プライドをなにより重んじる気性のなかでは、本来プライドと縁のないはずのお金にも、プライドが込められる。5ペセタには5ペセタぶんのプライドがある、というふうに読んだのだ。
 こんなことをいうのはひがんでいるようでいやだけれど、2007年は、日本国の軍務についていた人が享受していたらしいプライドなきお金のことや、たんなる金銭的成功の証のようにして超高級という形容がつくクルマや不動産やその他の物件が購われているケースが増えているようであることが、あらわになった年だった。また、そういう日本の事情と直接関係ないけれど、ルノーからマクラーレンに、巨額の契約金をもらって移籍した2006年のF1チャンピオン、スペイン人のフェルナンド・アロンソは、2007年シーズン終了後にチームを離脱した。そのことをF1の事情にくわしいスイスの元F1関係者と話していたら、イギリス人の同僚ドライバー、ルイス・ハミルトンにたいするチームの優遇が、アロンソの「スパニッシュ・プライド」を傷つけた以上しかたないよ、とかれはいった。
 してみると、スパニッシュ・プライドはいまも生きているわけだ。そして、僕はスパニッシュ・プライドが好きだ。あるいは、計算に先立つ愚かな誇りが、僕たちに与える威厳と品位が好きだ。
(鈴木正文)
 
 
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